第138話 春、そこまで(雑談いろいろ) ---2012.2.28.
ドイツの友人達からは「今日は−18度よ」、、ヨーロッパからも寒い冬便りが入ってきますが、私が留学した冬も厳しい寒さでした。 フライブルク旧市街Bertoldsbrunnenというたくさんの市電が乗り入れてくる中心、乗り換え地点があるのですが、そこで当時同時期に 留学していたオルガニストの松居直美さんと偶然出会い「寒いね〜」と。お互い練習の帰り。頬も凍りそうで、 この一言会話を交わすのがやっとだった記憶があります。その時、柱の温度計は−20度を示していました。 音大の練習室は暖房が入っていて暖かいのですが、そこでの練習時間には制限があり(1回2時間)、 郊外の教会へ練習にバスに乗って出かけていました。冷たい教会で長時間の練習、冷え切った体で、 1時間に1本来るか来ないかのバスを待つ、、冬の夕暮れは早く外はすでに薄暗くなり、雪で覆われた地面に足をつけていられず、 踵立ちで待っていた。あの冬も本当に寒かったけれども、夢を追いかけ夢中になっていた私、 希望と情熱とで寒さも乗り切ることが出来たのでしょう。 (右の写真はよく練習にかよった教会Ehrenkirchen。)
Twitterは「KeikoOrganist」 https://twitter.com/#!/KeikoOrganist Facebookは「井上圭子」 http://www.facebook.com/keikorganist 年を重ね、音楽の趣味、好みも変わってきた感があります。私には弾けないと遠ざけていた曲が、馴染めるようになったり、 弾きたいと思うように変わったり。今は自分の中のその変化を楽しみながら、新しい譜面を読んだり、 昔弾いた曲をもう一度弾き直してみたり、新たな響きが聞こえてきます。これまで聴いたもの、見たもの、知ったこと、、 いろいろな積み重ねから私も変わってくるのでしょう。 自分の専門分野の音楽は楽しむというよりは、どうしても専門的な「耳」が動いてしまう。テンポや演奏解釈、 楽譜が頭の中に見えてきてしまうこともあります。オルガンの場合にはどんなレジストレーションをしているか (どんなストップ、音色で弾いているか)。いけない、と思いつつどうしてもそういう耳で聴いてしまう、聴こえてしまうのです。 職業病ですね、寂しいことなのですが、、。時々思います、私がオルガニストでなかったら、どんな風にオルガンが聞こえてくるのかな、、と。 自分の趣味に合った演奏、好きな演奏、また自分では絶対こうは弾かないだろう、という演奏もあるのですが、 最近はそうした演奏にも耳をかすようになりましたね。ふ〜む、私とは違うけれど聴いてみよう、というような大きな心で柔軟に受け入れられるように。 ところで私の住むマンションにオルガニストが3人住んでいます。日本にオルガン奏者何人いますか?・・ という世界に、ここのオルガニスト人口密度の高くないですか!地下の駐車場で出会った友人オルガニストさん・・ 「ヴィエルヌの楽譜が見当たらないけど、貸してくださる〜」、すぐに我が家の本棚へダッシュ、楽譜をお貸ししました。 些細なことでしたのに、ドイツのとても美味しい手作りBioパスタと、イギリスの貴重なCDをヨーロッパからの お土産にいただいてしまいました、恐縮、、またいつでもお声をかけてくださいね!ご近所オルガニストさんとの 嬉しい交流〜。 美しい音楽には心を動かされます。感動し、涙することも。音楽はこの世の私達に残された「世界遺産」だと思います。 私自身も楽しみますが、同時にそうした素晴らしい音楽を人々の耳に届ける仕事が、私たち演奏家に与えられた務めだと。 寒い季節、外は寒くても、暖かにした家の中で、あるいはコンサートホールで、ぬくぬく温もりながら音楽に耳を傾けるのに ぴったりの季節ではないかなと。そんな思いで音楽を聴きながら、また弾きながら過ごした寒い冬でした。 梅の花が咲き始めました、近くの公園に赤と白の梅が開花、春もそこまでですね。新しい芽が吹き出し 花々が開花する季節、楽しみです。冬の間、暖めていたこと、春から夏に開花させようと、私も寒い間に暖めた作品たち、 暖かくなったら演奏したいと思っています。
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