オルガニスト楽屋話
第170話 音楽が世界をひとつに@カリニグラード ---2013.9.23.
モスクワから飛行機で1時間半、ヨーロッパ内にあり、ポーランドとリトアニアに隣接するロシアの飛び地、
カリニングラードへ。モスクワと1時間の時差もあるこの地で、コンクールの2次予選(セミ・ファイナル)と本選(ファイナル)が
開催されました。
ハンブルク、カンザス、モスクワ予選に通った20名の参加者(16の国籍)。審査委員長はエスケッシュ、審査委員にはハンブルク、ミラノ、プラハ、カンザス、ザンクト・ペテルブルク、モスクワ、ヴィリニュス、そして東京から、
9名の審査員が集まり、8日間、カリニグラードに滞在しました。
会場は「コンサートホール」なのですが、外観、そして中はカテドラル(教会)。ドイツ時代にカテドラルだった建物が、
ソ連になり国教が変わり、照明の設備や、ステージが増設され、現在はコンサートホールとして使われている、という訳です。
コンクール審査は朝10時に始まり、午前5名(3名の後、ティータイム休憩)、そして昼食の休憩後、同じく5名、一人1時間の演奏を一日10名、
若いオルガニストの熱演を、1日10時間聴くことに。座り疲れた私達、休憩時間は立ってお茶を飲んでいました。
時間はいつも押し、ランチは午後3時半から、審査の終了は夜の10時半。11時半から夕食、こんなスケジュールの日が3日ありました。
ホテルから会場へ、会場から昼食へ、と・・・移動はいつも審査員全員一緒に、小さなミニ・バスで。
ロシア語、英語、ドイツ語、フランス語が飛び交い、朝から夜遅くまで共に過ごした5日間。
深夜になると流石に疲れ、得意な言葉で話しているのですが、通じていた私達。
今回はハンブルクのフォトグラファーはじめ、撮っていただいた写真がたくさんあるので、写真を交えてご報告させていただきます。
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最終日、最後のセレモニー・コンサートを終え、参加者、審査員、関係スタッフみなでオルガンバルコニーで。 私は右から3人目。 |
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最終審査発表後、受賞者と審査員で。午後11時近く、喜びの笑顔に溢れる受賞者とちょっとお疲れの審査員メンバー。 |
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本選、審査。 |
私の左はエスケッシュ氏(仏)、 右はシューナー氏(独)。 |
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バウアー氏(米)と。 |
私の右はトゥーマ氏(チェコ)。 |
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ファイナリスト発表のシーン。 |
記者会見。 |
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ファイナリストとの歓談風景。 |
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最終日、セレモニー前に、カテドラル前で、審査員と歓談の時。 |
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プレゼンテーターを務める私・・。 |
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レナータ(リトアニア)と、右は主催者のヴィエラさん。 |
ある日のランチ、審査員メンバーで。海に近いので、お魚料理は美味しかった。 |
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バルト海へショート・トリップ。参加者と審査員で。 |
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私の前の彼女は、モスクワからずっとお世話になったマリアさん。 |
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バウアー氏、エスケッシュ氏と。 |
セミファイナルまで残り熱演を聴かせてくれたドイツ在住の私の教え子、川勝さち子さん。 |
国や言葉を超え、音楽、オルガンを通し、オルガニストの交流がありました。それは賞を得た者も、残念ながら得られなかった者も、参加者全員に
与えられた大きな収穫であったと思います。審査をさせていただいた私達も同じです。
最後のセレモニーまで無事終わり、翌朝、審査員はパリ、プラハ、ミラノ・・と、それぞれの地へ帰っていきました。
アメリカ、モスクワからの審査員とスタッフでモスクワまで一緒に。そしてモスクワからはいよいよ一人に。
瞼を閉じると、まだ皆と共に過ごした様子が浮かびます。中学生の時、オルガンと出会い、弾きたくて好きでたまらなくて始めた小さなことが、
こんな大きな世界へ導かれたことは信じられないようなことで、嬉しく思うと同時に、私のような小さな者に与えられた素晴らしい機会に
感謝のロシア滞在でした。
(10/13)ロシアでの写真アップしました。
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