第231話 Stay Home お家時間 ---2020.5.28.
まだこのウィルスとの戦いは終わった訳ではなく、ワクチンが開発され効果が認められるまで、油断は許されません。 まだ第2波の心配もあります、新しい生活スタイルを模索しつつ、常に感染に注意を払い、少しずつ元の日常に戻していくことになるのでしょう。
約1か月半にわたる外出自粛規制、家籠りのお家時間、皆様はいかがお過ごしでいらっしゃいましたか。
家が教会に近い、公共の交通を利用しないで教会へ行ける・・という理由で、通常ならば3人のオルガニストで交替で弾いているところを、
私一人で、なんと気が付くと連続10週、礼拝奏楽の日曜日が続きました。正確には8回終わり、今の予定ではあと次週と、その次と2回弾く予定で、合わせて10回になります(-_-;)。 コンサートやイヴェントはなくなりましたが、教会オルガニストに専念した1か月半・・沢山のコラール作品を弾いた、美しいコラール作品に夢中になった、充実した時間、そしてまた規則正しい生活の自粛期間となりました。 同じ敷地内にある幼稚園も休園、2000坪という広い敷地内、いらっしゃるのは牧師先生ご夫妻だけ。本当に静かな環境。 響きが良く誰も居ない礼拝堂で、美しく歌うオルガンと対話の時間。コンサートで弾く曲と、礼拝で弾く曲は違います、もちろん教会での演奏会、それから コンサートホールでもコラール作品を演奏しますが、私としてはこれほどまで教会音楽、礼拝での音楽に専念した時間はかつてありませんでした。
これらの曲、ドイツ留学時代に勉強した曲ですが、 帰国後、コンサートなどで追われる中、弾いていなかった曲、久しく弾いていなかった曲もあり、 そんな作品を引っ張り出して、久々に弾くことに。 楽譜には「Jun 〇〇' Freiburg」と、まさに〇〇年前←そんなに年月が経ったかと思うと恐ろしいのですが、、、勉強した年月が記されていて、留学の地フライブルクで勉強した曲。 まあ驚くほどに、緻密に全ての指使い、足使いをふり、サットマリー先生の指示や注意、教えていただいたことが書き込まれています。 ひたすら頑張り夢中になっていた当時の私が見えてきます。 折しも、丁度今頃、コロナ感染の問題さえなければ、サットマリー先生は来日し、演奏会、マスタークラス、再会そして同じ演奏会で一緒に演奏する企画もあった訳で、本当に残念ですが、 その素晴らしい教えは、いままた生かされています。昔弾いた曲は、体も覚えている!あの頃、練習にかよっていた教会やオルガンを思い出しながら、 また弾いている自粛期間中の私。 大森めぐみ教会、延期になっています献堂式は今秋、開催される予定です。その後、演奏会の企画も準備しています、というより今春開催の予定が延期となっています。 皆様に響きの良い会堂で、美しく再建されたオルガンの音色をぜひお聴きいただきたいものです。 それで、この自粛生活、何だか同じような生活の覚えがあるな、と思うと、それはまさにフライブルクでの留学生活でした。オルガンを弾きたい!という気持ちいっぱいで 朝目覚める。朝一番に教会や大学へ向かい、オルガンを弾き始める。1週間、誰とも会わない、話さないこともあった。極端な話、オルガンと3回の食事のみの生活、でも満たされていた。 仕事をしない、人と接触しない、オルガンだけの生活、、まさにあの頃に似ている。
(右上の写真・・教会前に止まる私の自転車。) ひとつだけ言えるのは、今の私は留学中の私よりずっと元気で、健康なことでしょうか。毎日、夕方になるとこうした出で立ち、マスク姿でジョッギングへ。 (マスク大嫌いな私ですが、ハワイアン柄のお気に入りのマスク・・) これにサングラスですから、友人やジム友達とすれ違っても皆「だ〜れ?!」と。ソーシャル・ディスタンスで手を振るのみ。あるいは気付かない。自粛生活になってから、これは必要!と ネットで買ったお気に入りのランニング・シューズ。 毎日約5〜7キロのジョギング、続けました。何日かは長距離サイクリングに変わりましたが、その距離は20キロ以上。 走れ(ら)なかったのは、1か月半でたったの2日。一日中雨の日と、用事が出来て帰りが遅くなった日。教会へも3回、ジョギングで行きました、往復7キロ、1時間コースです、 ただし疲れてオルガンは弾けません、、(笑)。 我が家の前、魚が泳ぎ、水鳥が集まる川辺があり、子供たちが水遊び、、こんな所があったんだ、20年も住んでいて全く知らなかった。 歩く人、走る人、サイクリング、緑地ではフリスビーで遊ぶ若者たち、何とものどかな風景。忙しく時間に追われてる生活から離れ、 たまにはこんな生活、こんな時間も良いかなと。
オルガンの他には、日頃できなかった徹底掃除、手の届かないところに登っての掃除、椅子の張替え、テラスの椅子のペンキ塗り、
衣料や食器の漂白、最後は壁まで拭き〜、諸々普段の生活では時間がなくて出来なかったこと、とりあえず全て終了。
演奏会は客席に聴き手であるお客様がいて成立するもの。無観客、無聴衆、、は違うと。ライヴ演奏、一瞬一瞬の瞬間芸術であり、お客様との間に感情のやりとりがあって成立するもの。
無観客というは、こうした事態の救済法かもしれませんが、お客様に会場で聴いていただけることが演奏会であり、演奏家にとっても演奏する喜びに繋がります。
お客様のいない会場で演奏するのは、どうも”演奏”の気持ちへと入りこめない、たった一人でも聴衆がいれば違います、これは私だけではないと思います。
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