オルガニスト楽屋話

第35話 オルガンシューズ ---2000.3.20.

「靴、買ってあげる」という言葉を聞き、とっさに私の頭の中を よぎるのは、奇麗なデザインの靴です。私も世の中の女の子達と 同じく、イタリアンデザインの靴やバックが大好き。 これはまさに芸術品と、ショーウィンドウの前で、釘付けになることも あります。この靴好きは子供の頃からで、学校に履いていく靴にもうるさく、 母を困らせていたそうです。ピアノの発表会のために靴を新調してもらえ ることが、とても嬉しかった私。そして忘れられないのが、 ドイツに留学した時、はじめて送られてきた父からの手紙で、 家族の近況に加え、”圭子の靴、約30足を乾す”というフレーズです。 家の下駄箱を占領していた私の靴を、しばらく留守なのだからと、 片づけた様子でした。

私の傷んだオルガンシューズを見ると、哀れに思うようで、 「靴、買ってあげる」と言われるのですが、この時こそ 最も履きやすい時期なのです。 新品の靴は足に馴染まないので、しばらく練習に使い、慣れた頃に 演奏会本番に履くようにしています。

オルガンシューズはペダル(足鍵盤)を演奏し易い靴なら、どんな 靴でも構わないのですが、底は適度にすべるよう(すべらす奏法もあるから) ゴム底ではなく皮のもの、鍵盤を痛めず、演奏しやすい低めのヒール、 そして演奏中脱げないことが条件です。あるオルガニストが靴下姿で ステージに登場した時には驚きましたが、大抵の人は靴を履いて 演奏します。

日本人の女性オルガニストのほとんどは、 ヨシノヤで売っているオルガンシューズを履いています。 私はさらにそれを特注で、外皮はエナメルに、そして底は水牛の皮に (皮に比べ、カタカタ音が出ない)しています。 みな同じデザインの靴を、そしてきちんと袋などにしまって 持ち歩く姿(外国では、そのままカバンへ入れている人が多い)は、 日本人独特の現象かもしれません。

自宅で練習中に玄関のベルが鳴り、靴のまま出ていくと、いらした お客様の不思議そうな顔。

「あら、そんな靴でステージに出るの?」と、あるオーケストラ 女性団員の友達に言われたことがあります。 確かに楽屋ですれ違うソリスト達の靴の美しいこと。 「ドレスの色に合った靴を、ミラノで見つけたので買ったのよ」 と、何とも羨ましいソプラノ共演者のお言葉。

履き古しボロボロになり、愛着のある靴でも捨てなければ ならない時が来ます。ご苦労様、ありがとうという思いで一杯になります。 これまで10数足の靴と、そんな思いで別れました。 また、第28話をお読みいただいた方は、この大切な靴を忘れたという あわて者の私をご存知かと思います。

開演間際、舞台袖で最後に確かめるのが、靴のひも。 楽器がそばにある訳でもなく、靴のひもぐらいしか チェックすることがないとも言えるのですが・・。 「照明が決まりました。どうぞ」の合図で扉が開き、 私は拍手に迎えられ、スポットライトの中へと歩くのです。

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