オルガニスト楽屋話

第58話 歌え、オルガン ---2002.7.25.

オルガン独奏のほかに、私が大切にしているのはオーケストラ、また ほかの楽器とのアンサンブルの機会です。 トランペット、ホルン、トロンボーン、金管アンサンブル、サックス、フルート、 ヴァイオリン、チェロ、打楽器そして声楽・・・、これまで様々な演奏家と 共演しました。 例えばテニスも、上手な相手とだとボールがスムースに行き来し、より楽しくなるものですが、 音楽も同じで、優れた音楽家の方々との演奏の機会に恵まれた私は、楽しい機会を 沢山与えていただきました。 また伴奏やオーケストラの一パートを 弾くことであっても、オルガンにはない響きが味わえます。

けれどもいつも痛感するのは、「オルガンはなんて表現力の乏しい 楽器なのだろう」ということです。アンサンブルでは、ほかの奏者と同じ呼吸で 歌い、音楽を創っていかなくてはなりませんが、そうした時に、実に小回りのきかな い、不器用な楽器だと思わされるのです。

先日、フルーティストの佐久間由美子さんと、「笛たちの饗宴」という演奏会があり ました。オルガンは鍵盤楽器でありながら、笛の集まり・・という趣旨の 企画です。佐久間さんのお言葉では「一生のうちに、演奏できる 機会があるとは・・嬉しい」というマルタンの“教会ソナタ”はじめ、アラ ン、ハルトマンなどのフルートとオルガンのための作品をとりあげました。 彼女のフルートは美しく、色彩感に溢れています。1本の笛とは思えない表現力の大きさ! また気さくで、とても楽しい方です。 オルガン演奏は笛を歌わせることだといつも意識している私は、 今回のフルートとの共演で、とりわけ多くのことを学ばされました。

オルガンの笛の場合、音程は変えられない、鳴らした音は持続するものの音量の変化 はつけられない、フルートのように息の送り方で音色を変えることも出来ない・・と い う出来ないづくし。けれどもそれを何とか克服し、隣で演奏するフルートと 同じ息づかいで奏でられるようオルガンを操る。するとすると・・表情が 変わった!! 私の思うような音楽が生まれるのです。気持ちは楽器に伝わるものなのですね。

こうした機会を得ると、ますます「オルガンの表現」に 留まっていてはいけないと思わされます。不器用な楽器だからこそ、音楽的な息を たくさん吹き込んであげなくてはならないと。

オルガニストは、「オルガンの言葉」で語る(演奏する)ことに甘んじていることが あるような気がします。教会の楽器だからでしょうか、自己主張をあえて押さえた り、フーガなど数学的な音楽が多いせいでしょうか、機械のように無表情だったり。 でも音楽は生きているし、音楽には表情がある。すべての旋律を豊かに歌わせて こそ音楽なはずなのに。

音楽は、楽器を媒体に聴き手に伝えられます。タッチや、楽器を操作する (オルガンの場合、そのくらい大きい)テクニックは音楽があれば 自然に生まれてくるものです。 色々な言葉が語れるならば、さらに表現の幅を広げられるでしょう。 大学で勉強して学べることとも少し違う。素晴らしい音楽家との出会い、 演奏の機会ひとつひとつが、私に栄養を与えてくれています。 オルガンの世界だけに留まらず、こうした演奏活動を 通して色々なことを吸収しつつ成長していけたらと思うこの頃です。

楽しみにしている夏の休暇も目前になりました、今年はスペインへ出かけます。 どんな旅になるのでしょうか。 皆様もどうぞ良い夏をお過ごしください。



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