オルガニスト楽屋話

第68話 脱!普通のオルガニスト ---2004.6.25.

コンタクトレンズの保存液と消毒液を間違えると痛いですね〜(当たり前かもしれませんが)、 しばらく涙がとまらず、一日うさぎのような赤い目で過ごすことになってしまいました。 ボトルの表記を良く読まずに買った私の不注意ですが、仕事と練習で忙しく、そのうえ 趣味の時間も持ちたいと思うと、それ以外のことは超特急でこなすことになり、こういうミスが起きます、反省。

さて久しぶりの更新です、私が日頃考えているオルガンのお話をいたしましょう。 オルガンはダイナミックレンジや音域は広いけれど、表現力が乏しく、歌うことができない 楽器という印象をお持ちの方も多いと思います。鍵盤を押せば音は鳴りますが、ピアノの ようにタッチによって強弱をつけることはできません。また弦楽器や管楽器のように音量や 音色を自在に変えることもできません。確かに構造上、ほかの楽器と同じような表現は 無理ですが、決して無表情な楽器ではなく、豊かな表現が出来ると私は思います。

楽譜の中に書かれた音符とにらめっこする毎日ですが、音符ひとつ ひとつに性格を持たせて演じさせる演出家の役みたいと最近思います。 役者ひとりひとりに個性を与えできるだけ美しく演じさせ、ひとつのドラマを つくっていく作業です。音符だけではありません、休符という音のない時間にも 演出は必要です。

また音楽は言葉と同じで、表情豊かに語ることができます。聞き手の心に 心地よく飛びこんでいく美しい音を“造る”のがプロフェッショナルな演奏家だと思います。 オルガンは表現能力の乏しい楽器だからこそ、積極的な働きかけがないと、望む音は 出てきません。オルガニストの技量と音楽性にかかってきます。演奏会場や楽器に よっても変えていかなくてはならず、これも経験とセンスが問われるところです。

自分だけが楽しんでいても、それから研究ばかりに走っていてもいけません。 知識は必要ですが、最終的には音楽は人を楽しませるものですね。 ただ音だけが機械的に並んでいるような冷たい演奏を聴くとがっかりします。 オルガンは一応音が鳴っていれば演奏らしく聴こえてしまうところ がありますが、それは音楽ではありません。

オーケストラやほかの楽器と演奏する機会を通し、私は「オルガン語」にとどまらず、 たくさんの言葉を話せるようになった感じがします。また幅広い音楽をオルガンで演奏 することを試みていると、楽器の可能性が追求できたり、 自然にそうした表現ができるような奏法が探せたりします。オルガン語だけで語っていては、 表現力が乏しい、狭い世界にとどまってしまいます。もっと巧みにもっと柔軟に いろいろな言葉をつかって音と関わると、世界は広がっていくのです。

誰もいないホールや教会での毎日の練習は、こうした創造活動です。 しーんと静まりかえった広い空間で、オルガンとの対話は続きます。

余談ですが、「あなたは血色がいいね」「いつも元気ね」、最近このような言葉を よくかけられます。どうやらオルガニストというと、教会で静かにオルガンに向かい、 色白で物静かでおとなしい人という印象があるようです。確かに私は違いますが、 外見はともあれ、脱、普通のオルガニスト宣言!私らしい音楽世界をこれからも 創っていきたいと思います。








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