第120話 究極の“遊び” ---2011.1.22.
新しい年、皆様いかがお迎えでしょうか。今年は寒い冬ですが、東京は元旦からずっと良いお天気が続いています。 我が家のリビングからは、毎朝、青い空に真っ白に雪が積もった富士山がくっきりと見えます。 立派な絵画などはないのですが、多摩川に面した窓から見える景色は一枚の大きな絵のようで、 朝日から夕焼け、また季節折々変化する景色で楽しませてくれます。
2011年、今年も新しい気持ちでまたオルガンに向かっています。教会は外とほとんど同じ気温、寒いです〜、 鍵盤も冷たいのですが、弾き始めると、パイプから夜の間たまっていたさらに冷たく冷え切った風が出てくるのです。 冷たい空気の中を、さらに冷たい空気が動くのですから寒い、寒い。そのうち暖房も効き、体も暖まってくるのですが、練習開始は凍えます。 様々なお楽しみ行事、楽しいイヴェントがあったお正月でしたが、その後、再び静かにオルガンに向かうと、 そこには「自分にとってとても居心地の良い居場所」であることに気付くのでした。 「演奏する」は英語では「play」、ドイツ語では「spielen」、ともに「遊ぶ」という意味ですが、 “最高級の遊び”“究極の遊び”が私にとってはオルガンだな、と。とことん追求することが楽しく、 深めるほどに返ってくるものがあり、喜びがあり、生き甲斐でもあり。
今日は母校である青山学院での記念礼拝で奏楽。力強く歌う同窓生、先生方の讃美の声をオルガンで支え、 ここで学んだこと、キリスト教主義の学校で教育を受けたこと、、ここに私の原点があったと再認識。 楽しいことや好きなことがいっぱいある中で、やはり揺るぐことなく私の芯となり支えてくれているのは 「オルガン」だと思わされた年頭でした。
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