第74話 南の島での夢時間・・シチリア旅行記 ---2005.8.14.
さてドゥオモへ。驚いたことに入口で厳重なボディ・チェックと手荷物検査、まるで空港のよう。 教会へ入るのにこんな念入りなチェックは初めてでした。Antegnati(15世紀から17世紀前半の イタリアオルガン建造家)のオルガンなど4台のオルガンがありました(写真)。翌日は 「最後の晩餐」をこの目で。日本からネット予約したのですが、送ってくるはずの 返信メールがきていない。心配した予約でしたがOKで、無事鑑賞できました。 サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会の食堂に15世紀に描かれたフレスコ画です。 空襲で食堂は崩壊したもののこの作品だけは残ったとのこと、奇跡ですね。壁一面、 想像以上に大きな絵画で、キリストが十字架にかかる前日に12弟子達とともにした晩餐の様子、 自分の目で見ることが出来感動でした。 余談ですが、市内で私の好きなデザイナー、アルマーニの洋服、香水、お花、チョコレート、家具・・・を 一挙に揃えた“丸ごとアルマーニ”のビルを見つけました、流石ファッションの発信地ミラノですね。 さていよいよ今回の旅の目的地、シチリア島へ。ミラノの空港のカウンターの対応ののんびりなこと。 待たされ、待たされ。その上、列を並ばない人がどんどん割り込んでくるのですから、なかなか順番がきません。 時間に余裕を持っていたから良いものの、日頃大阪を往復しているような日本の感覚で行ったら乗り遅れたでしょう。 飛行機は、夏休みを海辺のリゾートで過ごす家族連れで満席でした。 青い空と海、シチリアの青は豊かなブルー。そして明るい太陽の光をいっぱい浴びながら、 9日間シチリア島で過ごしました。ギリシャ、ローマ時代の古い遺跡が島のあちらこちらに点在し、 優美で力強い神殿などを見ると、紀元前からという壮大で長い歴史の端の一点に自分もいるのだなと 思うのでした。アラブ、ノルマンなど様々な民族に支配された複雑な歴史があるがゆえ、 多種多様な文化芸術が混在していてエキゾチック。イタリア本土やほかの国々では見たことのないよう なモザイクや大理石で埋め尽くされた豪華で美しい教会が残っています。バロックやルネッサンス 様式の建物が街中に見られ、まさに街そのものが芸術品!その見事さに感動の連続でした。 また教会に立派なオルガンがたくさんあることにも驚きました。
4車線もの広い道でも車線はなく、そこを車とバイクがかなりの速いスピードでひしめき合うように 走っていました。2車線目からウィンカーも出さずに曲がってくることもあります。信号機もなく、 切れ目もなく続く車の間をどうやって渡るのかと思うと、手を上げて自ら車をストップさせるのです。 怖い、怖い〜と思っていましたが、帰る頃にはそうした横断の仕方にも慣れていました。 バス停の表示も曖昧で、乗り場はスペースの空いている所だったり、 「ここで降ろして!」と声をかけ、バス停でもない所で降りたり。外国人の私には何が 何だかわからないのですが、どうやら、そのつどそれぞれが尋ね合いながら事が進んでいく・・・ こんなペースで済んでいるようでした。一度は市バスを待っていたら(ここにはバス停がありました) 停まるはずでない空のバスが停まり、「中央駅に行くなら乗せてあげるよ!」と。 わずかな距離を大型長距離バスに乗ることに。駅には連れて行ってもらえましたが、しっかり運転手さんは 運賃を徴収、何だかよくわからないのですが、人々はそれなりに便利に生活できているようです。 旧市街は建物が建て込み、道は狭く曲がっていてまるで迷路のよう、よく迷いました。 車一台通るのがギリギリで、小型車やバイクが多いことも納得、車をよけるのに立つスペースも ないほどですから。迷っているうちに、多くの人で大賑わいの市場に出くわしたり、子供が遊んでいたり、 頭の上に洗濯物が下がっていたり。そこで生活している素朴な人々の息使いを感じることができました。 歩き疲れるとバールやカフェで一休み。アイスクリームも美味しいのですが、ジリジリと照りつける太陽の下、 Granita(グラニータ・・新鮮なジュースで作るシャーベット。レモンやアーモンド味)は格別でした。 夜風に吹かれながらバールのテラスで食後酒をかたむけながら、ゆっくりと語り合う人々、誰もが夏を楽しんでいました。 時間に厳格、しかも数分おきに走る日本の新幹線、全てがスピーディに進みます。何でも整然と整い、 規則があるドイツ。それも便利なのですが、しかしイタリアの田舎でしばらく過ごしてみると、細かいことは気にしない、 おおらかで大きく豊かな気持ちになれたような気がします。 ローマで2日過ごし、その後、ドイツのフライブルクへ。留学中とてもお世話になり、 親切にしてくださった夫人が昨年10月に亡くなられ、お墓参りに。そして知人と再会し、 ??回目の誕生日はシュバルツバルトにある古い農家を改装したレストランで共に食事をしました。 森を散歩(ドイツ人は好きですね)しながら、当時の懐かしい話や近況など、話ははずみました。 Aufwiedersehn(さようなら!ですが、“また会いましょう”の意)、夫人を亡くされた80歳になるご主人と 最後にかわしたこの言葉は、今までにないほどずっしりと重く私の心に響くのでした。 写真のページもアップ致しましたので、あわせてご覧ください。
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